監督!落ち着いて下さい!

監督がブログにて「今回の、画面からにじむ違和感はすべて僕の不徳にあります。申し訳ございません。」と発言して物議を醸しているようです。おk、ちょっと検証してみよう。

コンテにおける不自然なカットや作画についての違和感は第1話の頃から某所で語り尽くされていますし、それ自体は監督も(おそらく)理解していることだと思います。そもそもの話、テレビアニメみたいな限られた制作時間内で劇場版レベルの質を求めることはナンセンスなわけでそこはスルーしましょう。問題はそこではない。

ビビッドレッド・オペレーションは友情(百合)物語だ!

とりあえず、作品を改めて捉え直してみる。

『ビビッドレッド・オペレーション(以下ビビオペ)』の物語は、4人の少女が未知の敵と戦わざる状況に陥り、毎回4人で協力してなんとかその敵たちを駆逐していくというものです。この「4人で協力」というのが1つのテーマになっているのは明白です。それは第6話でビビッドシステム(敵を倒せるすっげぇシステム)の生みの親である一色健次郎(以下淫獣)が述べているように、4人の友情パワー向上が敵を倒すために必須となってくるわけでして、要するに彼女たち4人の青春友情物語であることがわかります。

でもここで1つ問題が出てくる。淫獣の孫でありヒロインの1人である一色あかねの額に他の3人の内1人がキスすることで融合合体ができるドッキングオペレーションというシステムの存在である。あかねが誰かと合体している間、他の2人は完全にサポート役となってしまうわけです。これがヤバい、なぜかというとあかねは他ヒロインの1人である二葉あおいと大親友で、あかねも彼女とばかり合体してしまって他の2人は「私たち、ハブられてるよね…」となっちゃうんです。ヒロインは4人であるにも関わらず、どうみてもバカップル+2人という構成になってしまう。ひどいわ。

第9話はそんな疎外感たっぷりな2人がメインとなってストーリーが進行。あかねあおいは画面上からほぼ削除されています。作画上の問題とは思いますが、その2人デパートで風船を配るが映るシーンは”ある意味”上手くできていたと思う。

三枝わかば+四宮ひまわり=いらない子?

ここでその疎外されている2人、三枝わかば四宮ひまわりについて再構成しておきましょう。

わかばはスポーツマンで4人の中では男性的なポジションに位置し、でも女性的な一面を持つといういわゆる菊地真タイプです。ひまわりのことには妹以上恋人未満的な感じで接し、彼女のことを最初に目を付けたのもわかばでした。ひまわりの可愛さを極限までに引き出し、自らは彼女のお姉さん(もしくはお母さん?)として支えようとします。

対してひまわりはというと、過去に友だちに裏切られたことで対人恐怖症となった超理系タイプの引き篭もり。だったのですが、わかばたちと出会ったことでちょっとずつ心も身体も外に放出し始めました。友だちが欲しいけど裏切られたくない、その気持ちの強さは9話でもわかばから貰ったピンを無くしたシーンでよく表現されています。

あかねあおいがラブラブなので、わかばひまわりがラブりたくなる気持ちになっていくのも当然かと。

9話ラスト、またしても謎の敵が現れるわけですがとどめを刺したのはあかねあおいの融合バージョン。わかばひまわりはサポート役でしかありませんでした。1話から蓄積されていた4人の間に存在する壁がより一層大きくなった感じです。完全分割。朝鮮半島も真っ青です。4人の友情?なんじゃそりゃ状態。

監督が思っている違和感と僕の感じた違和感は一致しないでしょうが、なんとなく9話を観て以上のようなことを思いました。異論は認める。

最後に

ももちゃんマジかわええ。天使すぎワロリッシュ。彼女の出番が少ないのもそうですが、ヒロインたち以外の各キャラが弱すぎてどうも中途半端に見えてしまいます。

一端の少女が空中戦で謎の敵と闘うという非現実的なことに、さも当たり前かのように突き進んで、大した挫折や絶望も無しに敵を倒していくというプリキュア形式物語を批判するつもりはありません。ビビオペに限った話ではないですし、ガンダムやエヴァやまどマギみたいな作品こそ全てと言うつもりもありません。ただ、もう少し軸をぶらさずに1本のテーマに沿って物語を構築してほしいなぁと思います。